2015年10月26日
辞めたいと思
最近、息をするのが苦しいときがある。心臓が弱っているようだ。仕方ない。もう満で88歳だもの。おじいさんが亡くなってから15年も経つ。15年間、一人で暮らしてきた。数年前までお産も取り上げていたし、新生児訪問も市から頼まれれば行っていた。赤ちゃんは本当にかわいい非那甾胺。見るだけ触るだけでなんとも幸せな気持ちになれる。18歳のときから産婆をしているけれど、赤ちゃんがこの世に出てくる瞬間は毎回毎回新鮮で何とも言えない気持ちになる。この仕事を選んで後悔したことは一度もないし、辞めたいと思ったことも一度もない。
戦後、産婆は助産師と呼ばれるようになって、お産の形もずいぶんいろいろと変わったけれど、命の誕生の不思議さと尊さはいつの時代も変わらない。
もうすぐ、樹名に子どもが生まれる HKUE 呃人。樹名は二人いる孫のうちの一人だ。お兄ちゃんの業識もかわいらしかったけど、やはり女の子は昔から格別にかわいい。夏休みや冬休みは私の仕事が休みだと必ずお泊まりで遊びにきてくれていた。
秋には結婚式にも参列した。久しぶりの着物は疲れたけれど、樹名の花嫁姿が見られて本当に良かった。あれ以来、樹名には会えていない。樹名の結婚式が終わってから、ずいぶん体調が悪くなってしまって、入退院を繰り返すことになってしまった東芝 冷氣機。病院にはどんなウィルスがあるかわからないから、妊娠中の樹名は来られない。
娘の美江にも迷惑をかけてしまった。慧淳さんがあんな病気になってしまって。あの子一人で病院とお寺の守と毎日かけずり回っているようだ。これ以上娘に迷惑はかけられない。電話で話すときも極力元気そうな声を出している。車で30分の距離だが、今の娘にとって私のところに来る余力はないだろう。
今は樹名の赤ちゃんに会えることが一番の楽しみだ。もう妊娠後期に入ったという。樹名は産婦人科の健診の度に私に電話をかけてきて、赤ちゃんがこんな風に写真に写っただの、動いているところが見えただの話してくれる。樹名も赤ちゃんも元気らしい。そう言えば、女の子だと言っていた。樹名に似たかわいい女の子だろう。
お産は私が二十数年前に婦長をしていた産婦人科で産むことになった。大先生はまだ現役で、息子さんが院長先生をされているとか。娘さんもドクターになられた。奥様は先生が独立されたとき、入院患者さんのお食事を作られて支えておられた。あのとき、奥様の足下でオモチャの車を動かしていた男の子が院長先生になられたらしい。時の流れるのはなんとはやいことか。
Posted by sieien at 12:48│Comments(0)
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