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2014年10月14日

慣れるものです


このごろ、周期的におとずれる義母さまイヤ~!絶叫期に突入しています。
つい愚痴っぽくなるので、不快に思われる方はスルーしてください。
義母との付き合いも17年。
思えば遠くに来たもんだ・・・
これだけの時間一緒にいると、たいていのことには慣れるものです。
かなり常識離れした彼女が何を考えているか、それをすべて理解することはできないですけれども、行動パターンとしてはつかめてきたと思っています。
でも、つかめてくることと、それを許せるかどうかということは、全く別の次元の話です。
彼女がやらかしてくれるさまざまな出来事は、周囲の人間を「もー いやだー!!!」と叫ばせる圧倒的な力を持っています。
謎に満ちた彼女の思考回路は、加齢とともに今後さらに謎を深めていくのであろうと予想され、私の心に不安と恐れを巻き起こすと同時に、家庭内を不穏な空気で満たします。
これから先、我が家の平安は保たれるのでしょうか
彼女を見ていて一番キライだなーと思うところは、見栄っ張りなところです。
だれだって多少は人目を気にしたり、かっこつけてみたりするものですが、義母の場合は度を越していて、自分の見栄のためには、他者を悪者にすることも、うそをつくことも厭わないのです。
そうすることで満足し、プライドを保っているようですが、それが本当のプライドなのでしょうか。
以前はそうした自分の言動を正当化するために取り繕おうとするような意識が働くのが随所に見られましたが、最近ではどんなにバレバレでも平気になってきたようです。
これはきっと、老いの兆候なのでしょうね。

義母がもっと正直で素直な人ならいいのに と思います。
その方が人間として愛せます。
80を過ぎた母親なら、何ができないところで責めることなどありません。
ゆったり穏やかに心正しく年を取ってくれれば、こちらも気持ちよくお世話して差し上げるのに。
そう思うのは、若い世代の勝手な理屈なのでしょうか。
少し前に、NHKあさイチで「キレる高齢者」の特集をしていたのを興味深く見ましたが、高齢者のみなさんには共通の思いがおありだそうで、それは社会から必要とされなくなったことから生じる疎外感というものです。
在職中は周囲から一目置かれる立場にあった人も、その地位を離れてしまえばただのおじさんになってしまう。
そのギャップがすんなり受け入れがたいということは、私にも容易に想像がつきます。
でも、家族の中にあっては、年をとっても大切なお父さんお母さんであり続けることは、それまでとなんら変わらないのではないかと思います。
義理の親子であっても、17年もの時を過ごせば、実の親子と同等の絆を持つことも可能でしょう。
でも、残念ながら私たちの間にそのような情は育っておりません。
こんなに不幸で寂しいことはないですね…
そんなことを痛切に感じていたある日、我が家を訪ねて来られたお客さまと義母が玄関口で挨拶を交わしていましたとき、義母が私を呼びました。
「花ちゃーん!」の声に私が駆けつけましたところ、
「あ、見えたわよ」と、お客様に告げる義母。
いつものことですけど、敬語が違ってますよ、おかーさん…
(私が)見えたという言い方は、この家のヨメさまがお出でになりましたってことでしょ。
それじゃあ、なんですか!?
遠慮のあまりまともに口もきけないほど姑をびくびくとひれ伏させるような鬼嫁がこの家に君臨しているって、あなたはそうおっしゃりたいの!!
とまぁ、これは極論ですが、そんな場面に私はどんな顔をして登場すればいいのでしょう。
あぁ、恥ずかしい…
義母は正しく敬語を使えません。
しかしその自覚もなく、人前で気取って話そうとするからこんな事態を招くのです。
きっと私が思うほど、よその人は何も感じていないのでしょうが、そんなシチュエーションを何度も経験すると、ほとほと嫌気がさしてきます。
ダイニングに一人座ってため息をついていると、いつの間にか隣にキジオがやってきて私の顔を覗き込みます。
キジオのその眼差しには不思議なひかりが宿っていて、いつも癒しパワーをもらっている私。
キジオにはなんでもわかってしまうのね。
そう思うのは、私の願望か、はたまた勘違いなのか。
この際、なんでもいいわ
キジオの存在に感謝しつつも、まだまだ、私の試練は続きそうです。はぁ。  


Posted by sieien at 11:17Comments(0)heritioo

2014年07月11日

緊縛されたりす


夫の膝の上で可nuskin 如新愛がられることはもうない。
でも中一になっても夫の膝の上で体育座りして
可愛いがられてる次男(35kgやせ気味)を見ているのが好き。

夫と一緒に風呂入ることはたまにある。
それは色っぽいことでnuskin 如新なく節約という観点と
見ること久しくなくなった器官が枯れ落ちてないかみるため。
バラの枝の害虫駆除と似ている。
最も害虫がその器官について症状が表れているのを見たときには
もはや末期的だろう。
もちろん体なんか洗ってもらったりするほど
若くもないし介護を必nuskin 如新要とするほどまだ老いてもいない。
自分で洗う。

だから、夫に洗ってもらって気持ちよく首を長々とエロっぽくのばしている
ニオイ亀に少し嫉妬する韓國人蔘
週一で夫は亀の水槽を掃除する。
そのきれいになった水槽の亀をじっと見ているのも好き。

夫に拘束されたり緊縛されたりすることは今も昔もない。
たぶんなかったと思う。
なかったんじゃないかな?
まあ・・・ちょっとは・・・。

で、庭のツルバラが夫によってビニタイで誘因されアーチにつながれたり
縛られたりされてるのを見るのが好き。
うまい!縛り方が。
今年も花盛り。

結婚もうすぐ21周年。近況はそんな感じ。
同居してるから楽しめること。

  


Posted by sieien at 11:45Comments(0)heritioo

2014年06月11日

偽善と詐術が


白眼視するという表現がある。
無視したり、冷たい視線を投げかけることを言う。
このことば魚缸
何とも「言い得て妙」という気がする。

この白眼視という表現は、
中国の魏王朝の末期の
いわゆる竹林の七賢の一人である阮 籍(げんせき) の
態度から生まれたもの中港運輸公司
彼は、偽善と詐術が横行する世間を嫌い、
日々、大酒を飲み清談 (世の矛盾の語りあい) を行ったとされる。
そして、いかにも俗人というべき人物が来ると白眼で対し、
お気に入りの人物には青眼で対したとある。
このご仁、なかなか徹底していたようだ。

白眼視といえば、
世の中で、白眼視されるべき存在としてバンパイアがいる。
これは、架空の世界のものと思っていたが牛證
中世のブルガリアでは、現実にバンパイア狩りがあったようだ。
そのころ、バンパイアとみなした人物に対しては胸に鉄のくいを打ち込んで
処刑されたという。

  


Posted by sieien at 12:16Comments(0)heritioo

2014年06月11日

な思い出しか


夏休みの終わりに九州に帰るとき、祖母は関西線の駅まで送ってくれた。駅は長い下り坂を下りきったところにある。だから帰りはまた、祖母は長い坂道を上って帰らなければならなかったのだ。そんなことを、今頃になって憂慮しているHKUE 呃人
改札口で別れるとき祖母は慌てるようにして、ぼくのシャツの胸ポケットに何かを押し込んだ。おカネのようだったが、ぼくはそのことをすっかり忘れてしまい、夜行列車の中で気がついたときには、ポケットは空っぽになっていた。どこかで失くしてしまったようだった。
それが、大阪の祖母との最後だったHKUE 呃人
ぼくが東京であくせくしている間に、祖母は死んだ。

朝顔の花から、久しぶりに祖母のことを思い出した。取るに足りないような思い出しかないが、些細なことなのでそのうち忘れてしまうかもしれない。そう思うと、すっかり忘れてしまう前に書き記しておきたくなった。
日ごとに小さくなっていく朝顔の花に、遠ざかっていく記憶の愛おしさのようなものを覚えたのかもしれない。
小さな朝顔の花も、よく見ると愛らしい。花の終わりは始まりでもあるのかもしれない。老いていくというよりも幼くなった感じもするHKUE 呃人
あしたもまた、小さな花が生まれているだろうか。



  


Posted by sieien at 12:11Comments(0)heritioo

2014年05月27日

そんな


人間になったときに
長いしっぽは捨てたはずだったが
不覚にもゆうべまた
しっぽを失くしたので安利傳銷
もとの蜥蜴にかえろうと決心した

体が楽になったのは
まっすぐで生きられるからだろう

きいろい陽の光と
あおい草の風に
背中を染めて
縞もようの風景を生きてみる
地球がやさしくなった

そんな一日はきっと短い
目が覚めたら水族
地球の裂けめから這いだしていく
そのとき蜥蜴は
まだ蜥蜴の朝を知らないけれど

  


Posted by sieien at 12:22Comments(0)heritioo