2014年06月11日
な思い出しか

夏休みの終わりに九州に帰るとき、祖母は関西線の駅まで送ってくれた。駅は長い下り坂を下りきったところにある。だから帰りはまた、祖母は長い坂道を上って帰らなければならなかったのだ。そんなことを、今頃になって憂慮しているHKUE 呃人。
改札口で別れるとき祖母は慌てるようにして、ぼくのシャツの胸ポケットに何かを押し込んだ。おカネのようだったが、ぼくはそのことをすっかり忘れてしまい、夜行列車の中で気がついたときには、ポケットは空っぽになっていた。どこかで失くしてしまったようだった。
それが、大阪の祖母との最後だったHKUE 呃人。
ぼくが東京であくせくしている間に、祖母は死んだ。
朝顔の花から、久しぶりに祖母のことを思い出した。取るに足りないような思い出しかないが、些細なことなのでそのうち忘れてしまうかもしれない。そう思うと、すっかり忘れてしまう前に書き記しておきたくなった。
日ごとに小さくなっていく朝顔の花に、遠ざかっていく記憶の愛おしさのようなものを覚えたのかもしれない。
小さな朝顔の花も、よく見ると愛らしい。花の終わりは始まりでもあるのかもしれない。老いていくというよりも幼くなった感じもするHKUE 呃人。
あしたもまた、小さな花が生まれているだろうか。
Posted by sieien at 12:11│Comments(0)
│heritioo